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菊池武夫―。南朝の忠臣菊池武時の子孫。鹿児島県永吉村(現鹿児島市)に生まれ、12歳で上京しました。学習院中等科、陸軍幼年学校、同士官学校を経て同大学卒。1904―1905(明治37―38)年の日露戦争では中隊長として出征、金鵄勲章功4級を受けました。
1931(昭和6)年貴族院議員となり「天皇機関説」「足利尊氏論」などで美濃部達吉、商工相中島久万吉らと渡り合ったのは有名です。
その後、1941(昭和16)年には東京興亜専門学校(現亜細亜大学)の校長に就任、熊本県隈府町(現菊池市)の町長も兼任しました。
戦後の1947(昭和22)年に帰村、それからは村民に贈られた村所の別荘(現菊池記念館)で悠々自適の生活を送りました。
祖父に当たる最後の米良領主則忠公が廃藩置県の際、東西米良村、三財村寒川(現西都市)などの領内の山林を全村民に与えたので、終生“米良の殿様”として村民の尊敬を一身に集めました。(享年81歳) |
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